東京・井の頭自然文化園の人気者、アジアゾウのはな子(メス)が死亡した。
年齢は国内最高齢の69歳だった。
はな子は5月26日の午前、横たわったままの状態で起き上がれなくなり、午後3時過ぎに息を引き取った。
死因は自力で立ち上がれず、肺を圧迫し続けたための呼吸不全だったという。
最近は食事量は減っていたものの体調に変化はなく、前日も少しだるそうだったが食パンを食べるのを飼育員が確認していた。
最後は多くのスタッフに囲まれ、安らかに眠った。
井の頭自然文化園の園長永井清さんは
「最後はな子が息を引き取るまで、非常に穏やかな目をしながら逝ったのを見たので少し安心した」
とはな子の最期を語った。
なお遺体は国立科学博物館に寄贈されることとなり、研究や骨格展示などに使用されるという。
2015年には木もない狭いコンクリートの中にポツンと一人でいるはな子がかわいそうというという海外からの批判もあったが、飼育員に愛され、みんなに沢山の笑顔をもたらしてくれたはな子。
そんなはな子と飼育員たちにはどんな歴史があったのだろう。
花子とはな子の歴史
今回息を引き取ったはな子は2代目となる。
初代は「花子」(愛称ワンリー)でタイ国の少年団により寄贈された。
しかし1943年(昭和18年)9月、戦時猛獣処分として、凶暴な動物は危険という事でライオンやヒョウ、クマなどと一緒にゾウの花子も殺処分されてしまう。
殺処分には毒を仕込んだ餌を使用したのだが、他の動物は毒の餌を食べたのに対し、賢かった花子は毒入りの餌を食べずに最後は餓死をした。
「かわいそうなぞう」という有名な絵本はこのエピソードが基になっている。
その後日本は敗戦。
そんな日本の子供たちを元気づけようと、6年後の1949年(昭和24年)に、タイから2歳のゾウが贈られる。
それが「はな子」である。
はな子という名前は公募で決まり、初代花子の名を受け継ぐ事となった。
飼育員の努力
年を取ったはな子のために飼育員が餌を手作りし、にんじんを蒸したりおにぎりを握ったり、バナナの皮を全て剥いたりしていた。
さらにここ数ヶ月飼育員は毎日1時間、花子のそばで食事を手で与えたり、全身マッサージなどをして寄り添っていた。
しかしそんなはな子には過酷な過去があった
はな子の過去
はな子が日本に来て初めて連れていかれたところは上野動物園だった。
そこではな子は2人の飼育員に可愛がられ、みんなの人気者になった。
しかし1954年、上野動物園から井の頭自然文化園に移されるのだが2人の飼育員とも離れ、ひとりぼっちになってしまったはな子は数年後、何と飼育員を踏みつけて殺してしまう。
大人しそうに見えるが実はゾウは最強動物と言われているほど強い。
人殺しのゾウと呼ばれたはな子は足を鎖に繋がれ、檻の中に閉じ込められる事になった。
げっそりやせ細るはな子。
そんなはな子のお世話係になったのが、井の頭文化園の若い飼育員、山川清蔵さんだった。
山川さんは中々檻から出ないはな子をお客さんの元に連れて行くも、人を殺したはな子にみんなは容赦なく石を投げつけた。
ますます元気をなくすはな子をなんとかしようと、山川さんは泊まり込みで世話をするようになる。
1日100㎏の餌を毎日すりつぶしてははな子の口に持っていった。
そのような事が何年も続き、ようやく元気を取り戻したはな子は再びみんなの人気者となった。
この頃観客席には山川さんの息子の宏治くんがいた。
宏治くんはな子と父である山川さんの姿を見るためにこっそり井の頭自然文化園に来ていたという。
時は流れ飼育員の山川さんが引退を迎えた時、はな子の前に現れた飼育員はなんと大きくなった山川さんの息子の宏治さんだった。
はな子の最期を看取った中には、今は井の頭自然文化園を離れている宏治さんの姿もあったという。
2歳の頃より来日し、67年間愛され続けたゾウのはな子。
安らかに眠ってほしいと思う。