2016年6月21日、自民党の衆議院議員の鳩山邦夫氏が十二指腸潰瘍のため、都内の病院で亡くなった。

鳩山邦夫氏は法務大臣・総務大臣などを歴任。

「友人の友人がアルカイダ」発言が問題視されたり、法務大臣として死刑執行回数が多い事(13回で歴代1位)から朝日新聞に「死神」と書かれた事もあった。

兄である元総理大臣の鳩山由紀夫氏と弟の邦夫氏は政治思想などにおいて対立する事もあったが、邦夫氏が朝日新聞に死神呼ばわりされた際には「弟は死神ではない」と怒った事もある。

邦夫氏も、「(兄は)誰が見ても小沢一郎代表代行の操り人形に見える。兄弟連携は常に考えておきたいが、脱小沢でないと連携はできない」と発言するなど、兄である由紀夫氏の状況を心配していたようだ。

そんな鳩山邦夫氏が死去した事をうけ、兄の由紀夫氏が追悼コメント出したのだが、その内容が意外と好評なのだ。

 

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その追悼コメントがこちらだ。

 

(鳩山由紀夫氏の追悼コメント全文)

 

 弟邦夫の突然の訃報を聞いて、大変に驚いております。

3年前に母が亡くなりましたが、まさかこんなに早く邦夫まで逝ってしまうとは信じられません。二週間ほど前に、都知事選に弟の出馬を期待している方がおられたので打診をしたのですが、「今はその気はないよ」との返事でした。それが弟との最後の会話になってしまいました。何事も兄を追い越していた弟でしたが、人生まで追い越すとは兄として寂しい限りです。

私たち兄弟は小中学の頃は小児喘息持ちで、当時は運動が嫌いで、母が心配して家庭教師を私たちにつけてくれたのですが、その先生が勉強よりも野球や昆虫採集を教えてくれました。邦夫が蝶の権威になったのはそれがきっかけでした。料理もプロ並みでしたが、大学生の頃、勉強が終わると台所で餃子を皮から作って食べさせてもらったり、屋台のラーメン屋に家を二人でこっそり抜け出して食べに行ったり、本当に仲の良い兄弟でしたが、常に弟のほうが積極的でした。

また、弟は幼稚園の頃からオーパパ(一朗)の跡を継ぐのは自分だと言って、その通り、田中角栄先生の門下生となり、政治家になりました。政治嫌いの私が政治の世界に入るとき、派閥の違う私を角栄先生の下に連れて行ってくれました。言うまでもなく、弟は私にとって政治家の先輩であり、運命のいたずらで時には意見を異にすることがありましたが、内向的で自己表現がうまくない私にとっては、常に目標であり自慢の存在でした。

主要閣僚を歴任し、また蝶を愛し自然を愛する弟が、より高い対場から日本の将来や環境問題などに真剣に取り組んでくれることを期待していただけに、残念でなりません。

今は政治一筋に生きてきた弟が、政治という責任から身も心も解放され、安らかに永眠することを祈っています。

鳩山 由紀夫

(引用 スポニチ)

 

邦夫氏との数々の思い出、弟を認めるその姿勢など、とてもしんみりしてしまう内容にまとまっている。

そもそも鳩山由紀夫氏は、ネットの中では「ぽっぽ」「ルーピー」と呼ばれる事が多く、民主党幹事時代にニコニコ動画の生放送で外国人参政権について聞かれ「日本列島は日本人だけの所有物ではない」と発言するなどしてネット民を激怒させていた。

(※ルーピーとは米ワシントン・ポスト紙のコラムに書かれた由紀夫氏に対する評価で、「頭が変」という意味)

しかしその反面、鳩山由紀夫氏をモデルにしたAA(アスキーアート)が大量に発生するなど、ネタキャラとしての存在感は抜群だった。

 

そんな由紀夫氏が書いた追悼コメントに対するネットでの反応は

 

・ぽっぽのくせに…(´;ω;`) 

・政治家としては最悪だが頭はいいだろうし人も良さそうだからな 

・ポッポの言葉で初めて心に響いたかもしれん  大嫌いなのは変わらんがこの弟に向けた言葉だけは素直に良い言葉だな 

・邦夫は自然に還る 由紀夫は宇宙に帰る 

 

と、本人の事は嫌いでも今回だけはしんみりした人が多いようだ。

政治家として数々の功績を残された邦夫氏。

最後にご冥福をお祈りいたします。