%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%83%e3%83%88%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%88%ef%bc%92

華々しいデビューから20年。

今日まで激動の人生をくぐり抜けてきた華原朋美さん。

そんな華原さんが5/1の『誰だって波瀾爆笑』に出演され、家族や子供時代の事、そしてデビューから閉鎖病棟に入るまでの間や今現在の生活や恋愛などについて告白されていましたので、番組を見ての感想などを書いてみたいと思います。

 

スポンサードリンク

華原朋美の歴史

学生時代

華原さんの本名は下河原朋美さんといい、1974年東京都江東区に生まれます。

華原さんのお父さんは鉄鋼会社の社長という事で、とても裕福な家庭でお嬢様として育ったようです。

確かに華原さんにはどことなくおっとりした雰囲気があります!

 

超箱入り娘として育った華原さんは中高一貫の女子校に進学します。

(華原さんが通っていたのは学校は私立松蔭中・高等学校で、現在は共学になっているようです)

そんな華原さんが憧れていたのがステージキラキラと輝くアイドル歌手でした。

 

「私も歌手になれるのかな?」

元々歌うことが好きだった華原さんは、高校時代毎日カラオケに通っていたといいます。

今でこそ安くなったカラオケですが、当時は1時間一人1000円ぐらいとられていたので、ここでも裕福さが伺えますね~。

 

そして高校一年の時、全日本国民的美少女コンテストに応募しますが、本戦前の親子面談で母親が娘の芸能界入を反対したため、本戦には出場できなかったそうです。

ちなみにその時のグランプリはいちご白書で主演を務めた小田茜さんのようです。

 

昔から美少女だった華原さんは、街にでればナンパをされまくりの日々。

これはこれで大変そうですね。

そんなある日、華原さんは雑誌「Momocoクラブ」の記者に声を掛けられ、「突撃イケ撮りGAL」という素人の美少女発掘コーナーに載ります。

その後も各所からスカウトされますが、高校三年生の時に渋谷の吉野家で「アバンギャルド」(芸能事務所)にスカウトされ、18歳の時に『遠峰ありさ』という名でグラビアアイドルデビューします。

(高校卒業後は美容師を目指し、山野美容専門学校に入学していましたが、芸能界入りを決意し退学されたようです)

華原さんがグラビアとは意外な感じがしますが、ここから歌手への階段をのぼっていきます。

歌手デビュー

デビュー当初グラビアアイドルとして活動していた華原さんでしたが、20歳の時に運命を変える出会いが訪れます。

当時出演していた番組のプロデューサーが華原さんをある場所へ連れて行くと、そこにはtrfや、globなどヒット曲を連発していた小室ファミリーの面々と、あの小室哲哉さんがいたそうです。

小室哲哉さんの前で歌を披露した華原さんはその半年後、華原朋美として念願の歌手デビューを果たします。

 

「I BELIEVE」や「Im proud」などで大ヒットを飛ばすと、「桃の天然水」のCMで言った「ヒューヒュー」という言葉が流行、当時子どものファンが中心だったキティちゃんは華原さんが「キティちゃん好き」と発言したことにより、大人のファンが急増。

華原朋美という存在は社会現象を巻き起こしていきました。

 

ちなみに牛丼で有名な「つゆだく」という言葉も華原さんが大元のようです。

これは初めて知りました!

本当にすごい影響力ですね。

華原さんが語る、当時の華原朋美

当時の華原朋美は、『こういう人です』というのが決められており、当時華原さんは私服はジャージを好んで着ていたそうですが、歌手になった時からスーツを着用する事を求められ、「そのジャージは捨てなさい」と言われたそうです。

そんな華原さんの周りには常に20人ぐらいの大人が付いて、お金は欲しければいくらでもあげるからと言われていたようです。

世の中には考えられない世界がありますね…。

 

やることなす事注目され、若者のカリスマ的存在となった華原さんでしたが、大きくなりすぎた華原朋美を演じ続ける事に苦しみ、葛藤していたのだといいます。

そんな中、1998年に交際してていた小室さんと破局。

そして2007年、突然の解雇・引退となります。

 

その原因は大きなプレッシャーや苦しさから睡眠薬や精神安定剤を大量摂取してしまい、目はうつろでろれつも回らず、さらに仕事のキャンセルが相次いだ為でした。

華原さんは薬への依存を断ち切るため、閉鎖病棟での生活を余儀なくされます。

 

閉鎖病棟とは精神系の患者が入院しており、棟の出入り口は鍵で管理され、患者が自由に出入り出来ない病院の事です。

そのような病院で一時生活していた華原さん。

一体どのような思いだったのでしょうか?

華原さんの閉鎖病棟生活

隔離された部屋で3、4ヶ月過ごしたという華原さん。

閉鎖病棟は怖かったといいます。

部屋は一人でドアノブが無いため自分で開けることができなかったそうです。

華原さんは閉鎖病棟での生活を、「そこまでしないと心の闇が解けないし、もうそのような事は繰り返したくないという思い」だと述べています。

本当に苦労されたようですね。

華原さんの家族

華原さんは4人兄弟なのですが、男兄弟(兄2人、弟1人)の中で、唯一の女の子である華原さんをご両親はとても溺愛されていたようです。

その溺愛っぷりですが、華原さんが絵本を見て「このお姫様の服かわいい」と言うと、華原さんのお母さんはその絵そっくりのドレスを手作りしてくれたそうです。

 

さらに「家は煙突がないからサンタさん来られないかな?」と華原さんが心配すると、なんとお父さんが家に煙突を設置したというのです。

とても豪快なお父さんです!

 

他にも朝学校に行く時に前浜駅までお父さんが送って行ってくれるのですが、華原さんが「ディズニーランドに行きたい!」と言うと「じゃあ行っちゃおっか」と行って一緒にディズニーランドを周ってくれたそうです。

 

また石原裕次郎さんが好きなお父さんに「パパは石原裕次郎さんにそっくりだね」と言うと、小遣いをくれたそうです。

そんなお父さんですが、華原さんが芸能界に入りたい旨を伝えた時、

「芸能界という世界だけは、本当にそこだけはやめてほしい」といわれていたようです。

お父さんの気持ちもとてもよく分かります…。

 

スポンサードリンク

現在の華原朋美さん

昔の自分があったから今の自分があると語る華原さんは、20年前と変わったといいます。

 

・ニュースをチェックするようになった

・自分の発言に気をつけるようになった(しかし爆弾発言は今でも好き)

・あの事(小室哲哉さんとの事)も今は笑い話

・(昔は挨拶ができなかったので)立ち止まって挨拶するようになった

・最近免許証を取って自分で車を運転するようになった

・歌の練習のため、自主的にスタジオの予約・支払いをするようになった

(復帰から3年半、毎週欠かさずに歌の練習をしている)

・現在年間60回以上のステージに立っている(全盛期はコンサートをしたことが無かった)

・立ち食いそば屋さんに行くようになった

・マグマヨガをはじめた

・鏡を見てボディーチェックをするようになった

・スマホの待受は大好きな三代目J Soul Brothers

・会場に合わせて衣装を自分で選ぶようになった

・雑誌の切り抜きをし、興味がなかったおしゃれを楽しむようになった

・ファンとの距離が近くなった

・お金の管理も自分でするよになり、給料日はATMに確認をしに行く

・貯金もはじめた

・エルメスのお皿を少しずつ買い揃えている

・今を楽しめている

 

とにかく昔と違い、何でも一人でできるように心がけているようです。

華原さんの親友澤穂希さんが語る恋愛事情&現在の恋人(彼氏)

華原さんの恋愛事情に詳しいというのは元なでしこJAPANの澤穂希さん。

澤さんは華原さんの親友で、恋愛のコーチなのだといいます。

 

澤さんとは家にお泊りするほどの仲だそうです。

2人で話すのは主に華原さんの恋愛話だといいます。

澤さん曰く、華原さんは好きな人ができると結構積極的になるタイプだそうです。

 

そんな華原さんのタイプはイケメン

・・・とても素直ですね(笑)

 

昔は年上が好きだった華原さんですが、今は年が近い人がいいと言います。

 

最近また恋するようになったという華原さんは、駆け引きをするくらいなら素直にしていたほうが自分も日々楽しい、駆け引きを持ちかけられるのが嫌いなんだそうです。

今の華原さんは好きな人に尽くすタイプのようです。

華原さんの現在の恋人(実業家)

現在は7歳年下の医療関係の実業家の方と交際されているそうです。

顔写真などは公開されていませんが、短髪のスポーツマンタイプでサーフィンが得意なんだそうです。

出会いは2015年の食事会で、2016年には伊勢神宮やハワイに2人で旅行に行ったようです。

伊勢神宮といえば石原良純さんなどが挙式をあげており、もしかしたら華原さんも伊勢神宮で挙式をあげるかもしれませんね!

 

とても前向きに活動されている華原朋美さん。

今度こそ幸になって欲しいですね!