KY(空気・読め)発言で日本中から嫌われ続けているという神田うのさん。
そんなうのさんが6/27日のしくじり先生に出演していたのでまとめ&感想を書いてみます!
神田うのさんが嫌われている理由
私が初めて神田うのさんを見たのはボキャブラ天国だったと思うのですが、ゴダイゴの「ガンダ~ラガンダ~ラ」の部分を「神田~うの神田~うの」と替え歌をしていた時でした。
その時のスタジオの雰囲気は一瞬凍りついたようにみえましたが…インパクトは大でした。
それはさておき、モデルやタレントとして活躍する神田うのさん。
現在41歳、5歳になる娘さんを持つうのさんには、あるしくじり数字があるというのです。
そのしくじり数字とは…
嫌われランキング1位 11冠
なんと神田うのさんは、雑誌などの嫌いな人ランキングで11冠を達成してしまったそうです。
その内訳は、
・嫌いな女 第1位(女性自身)1996年
・外国人女性に嫌われる女 第1位(女性自身)
・ほんまは友達おらんのちゃうん 第1位(週刊女性)
・息子の嫁にしたくない女 第1位(週間現代)
・男が選んだ嫌いな女 第一位(週刊女性)
・抱きたくない女 第一位(週間朝日芸能)
・ママ友になりたくない芸能人 第一位(gooランキング)
・一緒にバーベキューをしたくない有名人 第一位(gooランキング)
・職場にいたらウザい女性芸能人 第一位(女性情報サイトVenusTap)
・あんな40代にはなりたくない女性芸能人 第一位(女子SPA)2016年
一緒にバーベキューをしたくない有名人とかは??ですが、そうそうたる受賞歴です。
そしてうのさんは約20年間なにかしらの嫌いランキング1位を獲り続けています。
ただ、逆に考えると20年間存在感があり続けている証拠かもしれません。
神田うのさんが嫌われ続ける理由
嫌われランキングに載っていた週刊誌によると、うのさんを嫌いな理由は下記の通りです。
・高飛車
・品がない
・見下されている感じがする
・いちいち面倒くさい
・話し方がバカっぽい
・話の内容がくだらない
・自分が正しいと信じて疑わない
・どギツイ化粧とファッションセンス
・自分の話ばかりする
・声がしゃくにさわる
・人の気持ちを考えていない
・「みんなうののことが好き」だと思っている
・つける薬がない
などが羅列されています。(実際の記事より引用)
なんか凄い数になっていますが、つまりみんなが神田うのさんを嫌いな理由はKY、空気を読めないところのようです。
ちなみにKYは仕事上あえて演じていたわけではなく本当に素なのだそうです。
凄いですね。
そんな神田うのさんの半生をみていきましょう。
神田うのさんのKYエピソード
幼少期
神田うのさんは1975年に、神田家の長女として誕生しました。
父親は旧通産省の元官僚で東大工学部を卒業しています。
ですので身内からは「ヒメ」と呼ばれ、大変可愛がられていたようです。
そんなうのさんの将来の夢は日本を代表するバレリーナで、5歳の頃からバレエ教室で練習を重ね様々な賞を獲得しました。
(うのさんの実績:全国舞踏コンクールバレエ・ジュニア部門入選(16歳)、全日本バレエコンクール入賞(17歳)、長野パラリンピック開会式「HOPE」主演(22歳)など)
しかし類まれなる才能のためかうのさんは、「バレエが下手な子の気持ちがわからない」という心境になります。
そしてバレエをやっている友達に悪気なく、
「あの子はなんであんなに踊り方が汚いの?」
「あなたは下手なのに、どうしてうのより前で踊っているの?」
など、ドラマだったら意地悪な悪役の子ばりの発言をしてしまいます。
しかしこれは嫌味ではなく単純に疑問として聞いたのだそうです。
嫌味じゃないぶん、余計怖いかもしれません。
小学生時代
うのさんの母親は、うのさんが小さいころから全て手作りでご飯を作っていたため、添加物が入った料理が食卓に並ぶ事はなかったそうです。
そんなうのさんは「一般的な家庭の食生活がわからない」という心境になってしまいます。
そしてうのさんはコンビニでパンを買って食べた友達に
「袋に入ったパンを食べた事ないから食べてみた~い」
と発言したそうです。
本人も「袋に入った」や「食べたことないから」という部分はいらなかったのでは無いかと分析。
余計な一言がやはりKYだと自覚していました。
さらに天真爛漫な性格で友達も多かったうのさん、「いじめられている人の気持ちがわからない」という心境になってしまいました。
そして、小学校の帰りの会の時に、
「〇〇ちゃんがいじめられています!いじめられている原因はすぐ調子に乗る性格だ思います。だからそこを直したらいいと思います!」
と、とんでもないKY発言をしてしまいます。
この発言をした時の教室の空気を想像するだけで冷っとします。
中学生時代
中学生になったうのさん、普通に街を歩いていると、すぐにスカウトマンが声をかけてきていたそうです。
あまりにもスカウトされるので、スカウトマンの名刺がポケットティッシュ感覚だったとか。
そして「スカウトされない人の気持ち」がわからないうのさんは、スカウトされた時一緒にいた友達に、
「うのってなんでこんなにスカウされるのかな~?(怒)」
と言ってしまったそうです。
「うのがかわいいからだよ」
と友達が言うと、
「やっぱりそうだよね~」
と返事を返したとか。
…KYです。
謙遜という言葉がなかったといううのさん。
14際の時にある決断をします。
モデルとしての神田うのさん
うのさんは14歳の時、スカウトがきっかけでモデルデビューをしました。
今までスカウトされても断っていたのになぜ今回は受けたのかというと、それはモデルの勧誘だったからだそうです。
うのさんは元々お洋服が大好きだったので、モデルなら、となったようです。
モデル事務所にはいり、「プチセブン」という雑誌の専属モデルをしていたのですが、モデルとしてチヤホヤされ、ますますKYになったそうです。
まだ中学生でモデルに、しかも当時小中校生に大人気のプチセブンのモデルになったら、そうなってしまうのも仕方がないかもしれません。
そしてうのさんはそのまま高校生になります。
高校時代
白鵬女子高等学校に進学したうのさん。
偏差値はあまり高くない高校だったようですがこの頃から爆発的なモテモテ人生がスタートしたそうです。
うのさんが学校に行くと他の高校の男子生徒が「うのちゃん見学ツアー」として校門の前に何人かでやって来ていたそうです。
モテモテですね~。
でもうのさんは高飛車にフンっとしていたとか。
うのさんにとっては当たり前どころか毎日のように来られてめんどくさい存在だったのかもしれません。
そんなうのさんは高校卒業前にある選択をせまられたといいます。
その選択とは…。
卒業前の選択
一つはプロのバレリーナを目指すため、パリの名門バレエ学校に進学する。
もう一つは日本に残ってモデルの仕事を続ける、でした。
そしてうのさんが選んだのは日本に残ってモデル(タレント)の仕事を続ける事でした。
個人的には非常にもったいない気もしますが、うのさんならどの道どちらでも成功してそうなきがします。
芸能人として活動を開始したうのさんは、CMのオーディションに即合格、デビュー4年後まで5社のCMに出演を果たします。
と、ここまでずーっと快進撃だったうのさんに、なんとフジテレビのお偉いさんが一度話をしたいと言ってきたといいます。
そしてまたしてもKYなうのさんは、フジテレビのお偉いさんに対して終始タメ口で話したそうです。
その結果、その言動が面白いと、なんとフジテレビの「オールナイトフジ・リターンズ」の司会に抜擢されたといいます。
強運ですね~。
逆に裏表が無いところが良かったのかもしれません。
まさにタメ口のパイオニアです。
そしてうのさんはさらに進化し、KYモンスター神田うのが完成してしまったのです。
当時19歳だったうのさんはKYな言動を連発、それでも順風満帆かと思われていましたが、半年後ついに事件が起きます。
オールナイトフジに出演していた女子大生集団「オールナイターズ」に共演者の中で誰が一番嫌い?との質問をするとなんと、「神田うの」と書かれた紙が大量に入っていたそうです。
(ちなみに嫌われている理由は自分の事を「うの」と名前で呼ぶからだとか)
そこで初めてうのさんは自分が超嫌われていると自覚したといいます。
しかし逆にうのさんは「嫌われる意味がわからない」と思ったそうです。
その時の事を振り返りうのさんは
「注意しよう KY自分じゃ 気づかない」
という格言を残しました。
そしてここから嫌われ街道まっしぐらになります。
その後の嫌われ人生まとめ
・野球選手、石井一久選手と交際、「誰のおかげで12勝もできてると思ってるの?」と発言し大バッシングを受ける。
・バッシングを受けていた時、グンゼさんからストッキングのプロデュースをしてみないかと言われ大ヒット。年商100億円となる。
・32歳の時、年商2000億円の大企業の御曹司西村拓郎さんと結婚。幸せに過ごす。
・結婚後、結婚式を9回挙げそれをブログに載せバッシングを受ける。(内一回は載せず)
・子供の弁当をブログにアップするも、メニューに黒毛和牛と表記しバッシングを受ける。
・さらに別の日の弁当のメニューにも飛騨牛ステーキと表記しまたまたバッシングを受ける。
・そしてさらにさらに別の日の弁当のメニューに松茸と表記、3度めのバッシングを受ける。
そんな神田うのさんの弁当の画像がこちら
・2012年、信頼していたベビーシッター(4人の内の一人)に1300万円相当の私物を盗まれる。なぜか被害者のうのさんに自慢するなとバッシングされる。
最後のベビーシッターの部分は被害者なのに叩かれて可哀想に思えます。
しかし、この時の事がうのさんを変えるきっかけにもなったようなのです。
これらのバッシングを受けてうのさんは「自分がバッシングされると、家族に迷惑をかけてしまう」という感情がでてきます。
自分へのバッシングはもうひとりの問題では済まされない。
うのさんは生まれて初めて「KYな母親はだめ。自分を変えよう」と思ったそうです。
そんな「神田うの流KY改善五箇条」とは
一、自分のことを私と呼ぶ
二、なんでもあけすけに発言しない
三、自分の常識を相手に押し付けない
四、周りが叱ってくれたら素直に受け取る
五、ブログはアップ前に誰かにチェックしてもらう
(セレブや幸せアピールになっていないか等)
でした。
涙を浮かべながら「必ず脱KYの母親になります」と発言するうのさん。
子どものために変わろうとするうのさん、母は強しなのかもしれませんね!