みなさんは加藤 旭さんという少年をご存知でしょうか?

旭さんは栄光学園に通う天才高校生作曲家で、小児がんと戦いながらも作曲を続け、2016年の5月に脳腫瘍のため16歳という若さで亡くなりました。

 

旭さんには夢がありました。

それは『自分のCDを出す』という夢です。

 

今回24時間テレビて特集を組まれるようですが、その前に旭さんの生涯についてふれていきたいと思います。

 

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加藤旭くんの子供時代

旭くんは1999年10月10日に滋賀県、彦根市に3185g で誕生し、神奈川県足柄上郡大井町で育ちます。

大井町は非常に自然に恵まれており、旭くんは小鳥のさえずりやカエルや虫の声を聴きながら育ちます。

 

そんな旭くんは、他人には無い『ある才能』を持っていました。

それは作曲の才能です。

その才能は3歳の頃から現れ、10歳までになんと480曲以上作曲してます。

 

旭くんの家は父・康裕さん、母・希さん、妹・息吹さんの4人家族ですが、両親共に音楽は専門外だったといいます。

 

入園前の旭くんが音楽好きなのに気付いたきっかけは、インスタントコーヒーに付いていたモーツァルトやヴィヴァルディの曲が入ったおまけCDでした。

旭くんはいつもこのCDの曲を鼻歌で歌っていたといいます。

 

音楽が好きだと気付いたご両親は3歳の旭くんにピアノを習わせはじめます。

旭くんは、紙とクレヨンがあれば音符を描いていましたが、4歳になる頃には鍵盤を叩かなくても音楽が頭に浮かぶようになります。

気に入った曲はピアノで何度も弾き、さらにアレンジなどもしていたようです。

 

CDのタイトルになっている『ひかりの行進』を作曲したのは5歳の時でした。

まさに天才少年ですね。

だからといって音楽ばかり興味があったわけではなく、電車や積み木や砂遊びなども好きな男の子だったようです。

 

旭くんには卵や乳製品などの食物アレルギーがありました。

ですのでおやつは芋や果物、手作りの物を中心にされていたようです。

母である希さんの努力が伺えます。

 

4歳になるとオーケストラに興味を持つようになり、ヴァイオリンを習い始め、さらに6歳になる頃にはオーケストラ譜を書き始めます。

若干4歳でオーケストラ譜を書くなんて、すごすぎです。

 

小学校に入ると、旭くんの才能に気付いた担任の先生がみんなで歌う合唱の曲を旭くんに依頼したといいます。

 

そして小学3 年生の頃に「小田原ジュニア弦楽合奏団」に入団し、チェロも弾くようになります。

ピアノやヴァイオリン、小田原ジュニア弦楽合奏団には妹の息吹さんも通っていたようです。

 

さらに旭くんは「こども定期演奏会」(東京交響楽団が毎年サントリーホールで行っている)のテーマ曲に自分の作品を応募、2006 年と2009 年に採用されます。

才能が抜きん出ています!

旭くんの闘病生活

中学に入学すると、3歳の頃より師事していた小西とも子先生の紹介で、ピアニストの三谷温(みたに おん)先生のレッスンを受けるようになります。

風景写真の撮影や自転車での遠出など、新しい趣味も見つけた旭くん。

 

ところが2013年の秋の旭くんが13歳の時。

どうしても頭が痛いという旭くんを病院へ連れて行き、MRI検査を受けると、小児がんと診断されてしまいます。

 

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脳にできた腫瘍の大きさは、すでに4cmまでに成長していたそうです。

旭くんの見に起こった突然の悲劇。

お医者さんに、「手術後はお母さんの顔を判別できなくなるかもしれない」といわれ、母である希美さんは気を失ってしまいます。

 

まだ13歳の子ががんに侵されるとは想像もできないですよね…。

 

しかし小さい頃からアレルギー治療などで病院を信頼していた旭くんは、『原因が分かれば治療してもらえる。原因が分かって良かった』と前向きに捉え、11時間にも及ぶ手術は無事成功します。

 

13歳とは思えない精神力ですね。

 

ところがそれから1年4ヵ月後。

旭くんが修学旅行でお昼ごはんにお蕎麦を食べていた時、なんと倒れてしまったといいます。

 

腫瘍は脳から脊髄へ。

がんは進行し、旭くんの体の自由、そして視力まで奪っていきます。

 

2015年、これまでに5回の手術を受けた旭くんは、5月についに、完全に視力を失ってしまいました。

体の自由が効かなくなり、寝たきりの状態になる旭くん。

しかし母親の希さんが毎朝声をかけ、リハビリを続ける事によってほんの少しだけ動けるようになります。

 

そして旭さんは、リハビリ後は欠かさず鍵盤に向かって曲作りをしたといいます。

本当に音楽が好きなんですね…。とても切ないです。

 

そんな旭さんに何かできいかと思う両親に、妹の息吹さんがCDをだしたらいいのではないかと発案します。

旭くんの夢である、自分の作曲した曲をCDへ。

 

旭くんの両親は、息子の夢を叶えてあげたいと思うようになります。

はじめは乗り気ではなかった旭くんでしたが、「自分の作った曲を、何かの役に立てたい」と思うようになります。

 

そして旭くんが5~10歳までに作曲した曲27曲を収録したCD『ひかりの行進』は2015年の5月に完成し、多くの人の耳にふれる事となります。

 

ひかりの行進の視聴はコチラ↓

 

繊細なメロディーが心を揺さぶります。

 

しかしCDが完成した時には旭くんの視力はすでに失われており、自分のCDの完成が見られなかったようです。

それでも自分の作った曲を何かに役立てたいと旭くんは作曲する事を諦め無かったと母、希さんは語ります。

 

2015年11月、都内で開かれたオーケストラで旭くんの曲が演奏されました。

ご本人もその演奏を聴きに訪れ、会場で拍手喝采をうけました。

 

そして2016年5月20日、自分で作曲した「船旅」を聴きながら旅立ちました。

若干16歳でした。

 

あまりにも早過ぎる死です。

 

3歳の頃から音楽に触れ、亡くなる間際まで音楽に打ち込んだ旭くん。

一体どれだけの想いが込められているのでしょうか。

 

旭くんの創った音楽は、これからもみんなの心に残り続ける事と思われます。

 

最後に、素晴らしい音楽をありがとうございます。